2020年3月23日月曜日

たかにゃんの車がたり第2話 すぽーつかーとGT(その1)

 さて、第一次世界大戦でひどい目にあった各国はもう二度と
こんな大きな戦争は起こるまいという、ある意味安堵の空気が
流れ、復興もある程度進み、各国の民衆の間で《自動車》で競争
をしたい!という動きが産まれ始めました。
 といっても巷にあるのは、頑丈な重い車体に頑丈なエンジンを載せ
た生活必需品のトラックか、民間放出品の軍用のトラクターくらい
しかありません。
 そこで思いついたのが、風力・水力発電でヨーロッパは安く電力
供給ができるのでアルミ部品の製造加工が安くできる強みを生かし、
ボディと骨組みはアルミを使って軽量化、軽いボディにどんだけ
ブン回そうがへこたれない商用エンジンを載せた自動車が完成
しました。それらは思いのほか速く、かっこよく競争車として
大いにもてはやされました。
 ところが、起きないと思っていた第二次世界大戦が早々に続け
て勃発。各国は壊滅的な打撃をうけました。それでも一度火が
付いた民衆の競争車への憧れと夢は止められず、不屈の精神
でついに大国際レースができるところまでこぎつけました。
 それが有名なルマン24時間耐久レースです。
 ルマンにはドイツのメルセデスを筆頭に、ポルシェ、アウディ、
BMW、イタリアは名門アルファロメオ、マセラッティ、ランチア、
イギリスはブガッティ、ベントレー、ジャガー、ロータス、
フランスはプジョー、ルノーなどなど豪華名門チームやプライ
ベートチームが出場しました。
 そんなご時世、イタリアの名門、アルファロメオのレースチ
ームでレーサーをしていた、いつか自分のチームを作りたい
と野望を持っていた一人の青年レーサーがいました。
 名前をエンツォ・フェラーリ。
 腕はそこそこなものの、大のレース好きでどんな劣勢でもライ
バルに向かっていくその勇ましい闘志が評判になり、イタリアの
撃墜王の遺族から跳ね馬の紋章をもらうほどでした。
 そして機をみてチームから出たエンツォは自らレースチーム、
《スクーデリア・フェラーリ》を立ち上げ、天才設計者をあちら
こちらから引っ張ってきて黄色い跳ね馬マークをつけた赤い名車を
作り出し、レースというレースを次々に制覇、アルファを追い抜いて、
ルマンでもメルセデスか、フォードかフェラーリかというほどになり
ました。

byたかにゃん